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そもそも忍者とは?
忍者とは鎌倉時代から江戸時代の日本で、大名に仕えて情報収集・特異な兵法武術による戦を主な仕事とし、武将たちの天下取りの裏舞台で活躍した個人もしくは集団の名称です。日本各地で集団が形成されていましたが、中でも甲賀忍者は良く知られています。
甲賀忍者の歴史
中世、地域の支配権力を強めようとしていた甲賀の土豪(半農半武の有力農民)たちが、長享元年(1487)に室町幕府将軍足利義尚(よしひさ)が本陣を構えた「鈎(まがり)の陣」(現在の栗東市)を夜襲。その功績により六角氏から感謝状を受け、「甲賀武士五十三家」あるいは「甲賀二十一家」と呼ばれるようになりました。その後、甲賀忍術武士団とも呼ばれ、全国の各藩で活躍し、戦乱の世を生き抜いたと語り継がれています。伝説の猿飛佐助は甲賀忍者だったと言われています。 |
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隠れ里や忍術屋敷へ行ってみよう!
各家の名字の多くは現在の甲賀地域の各地の地名になっています。実在した忍者屋敷には敵の急襲に備えた様々な細工が施されており、当時の忍者体験を楽しむことができます。 |
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甲賀忍者53家の筆頭格にあたる望月出雲守の屋敷として300年前(元禄年間)に建てられたものです。外見は普通の屋敷と変わりませんが、内部には忍者の住まいにふさわしく、侵入者から身を守る為のどんでん返しや落とし穴などさまざまな仕掛けが施されています。
→甲賀流忍術屋敷ホームページ |
広大な敷地に移築された忍術屋敷や手裏剣道場などが点在し、当時の隠れ里が再現されています。1,400点あまりの資料を展示した忍術博物館もあります。ちびっこ忍者道場では塀登り・綱渡り・からくり井戸などが体験(参加無料、貸忍者装束は有料)でき、人気です。
→甲賀の里「忍術村」ホームページ |

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忍者の足跡をたどってみる
特殊な山岳武術としても知られる甲賀忍者。その忍術が育成されたのはこの地域の偉大な自然があったからでしょう。 |
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岩尾山の地名は、巌という言葉と深い関わりがあるようです。その名通り、岩尾山には大きな岩があちらこちらに見られ雄々しい様は印象的です。巨岩が積み重なった山頂や中腹にある息障寺は甲賀忍者の修行の場にもなっていたようです。 |
標高は664.2メートル、修験道を修める山岳信仰の拠点で、甲賀忍者の修練場であったといわれています。山頂には奈良時代建立の飯道寺跡があり、付近にはのぞき岩、不動明分け岩などと呼ばれる奇石・怪石が散在します。山頂に立つと遠方まで見渡すことができ、織田信長が国見をしたと伝えられています。 |

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■慈眼寺
戦国期、特に関ヶ原前夜の伏見城の戦で、徳川家に忠誠を尽くした甲賀武士(甲賀忍者)
とその遺族100人が江戸移住した後、その子孫が甲賀に戻ってきて250年忌を行った時の位牌と石碑が残っています。
甲賀市甲南町野田/0748-60-2690(甲賀市観光協会)/JR草津線甲南駅から徒歩10分 |
■誓蓮寺
昔、伊賀忍者と結ばれた甲賀くの一(女忍者)が伊賀で亡くなり、伊賀の墓所から夜毎にしのび泣く声が聞こえたといい、それを知った誓蓮寺の住職がその墓を誓蓮寺に移して、ねんごろに供養したところ泣き声は静まったと伝えられています。
甲賀市甲南町上馬杉1435/JR草津線寺庄駅から車で15分 |
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